上海てくてく食べ歩き(Ⅱ)
2015.07.14|
『旅ごはん』初の海外取材、第二弾!
今回は、地方から上海観光に来た中国の人達が、
必ず訪れるスポットをご紹介します。
もちろん、ジモティーに人気で予約がとれないお店の情報も
上海の原宿と呼ばれる地区、その名もタコボー(田子坊)
タコボール(たこ焼き)ではありません。
人、ひと、ヒト・・・、とにかく人が多い。
10数年前から、一躍、上海の人気スポットとなった、田子坊。
まるで迷路のように入り組んだ路地に、
ブティックや飲食店、雑貨店がところ狭しとひしめきます。
もともとは零細な町工場と住宅が混在した地区でしたが、
1999年に中国の有名な芸術家がアトリエを開いたことから、
画廊やブティック、カフェ、レストランなどが集中し始めたそうです。

おしゃれな店舗と庶民の暮らしが混在
この生活感がいい!
竹の子族がニョキニョキ頭をもたげ始めた頃の原宿も、
一歩路地裏に入ると、たしかこんな感じでした。

真剣な表情で打合せ。ちょっと怪しい。
今風なショップもあれば、お香の匂いが漂う
骨董屋さんもあります。

とにかく狭い、カフェの3階の窓から・・・

中華?イタリアン??フレンチ???

特大サイズが売りのピザ屋

ちょっと休憩、カクテルブレイク

ええな~、思わず生つば!?
路地の壁に貼られた写真は、田子坊を拠点に活動する写真家、
陳瑞元(CHEN RUI YUAN)の作品です。
ひと昔前の上海や周辺の人々の暮らしをノスタルジックかつ
表情豊かに切り取った写真が多く、
陳瑞元のショップは田子坊だけで数軒あります。
上海に行く計画がある方は、ぜひのぞかれることをお薦めします。
寿司、焼肉、串揚げ・・・
和食を食べられるお店も多いです。

どんなお寿司がでるのかな~
田子坊の狭い路地を抜けて表通りに出ると、食品市場がありました。
ここは、潜入するしかない!!

このあたりは欧米人も多い

彩(いろどり)豊かな八百屋の店先

肉塊が並ぶ。撮影してるとにらまれました
この夜は、中国人の友人ご夫婦から晩ご飯のお誘い。
連れて行かれたお店は、これまた地元で超人気、予約のとれない
レストランというか、ええ感じの食堂でした。

半地下になった狭い店内に丸テーブル席が4卓だけ

店構えは庶民的、でも食材は高級

ぷりぷりの海老

近海でとれた魚の上海風味噌あんかけ

ご馳走には目もくれず、スマフォに夢中の奥さん

このスープ、まろやかで癒されました
食後は、友人と上海の中心地にある、オークラガーデンホテル上海へ。
フランス租界時代、1926年に建てられた旧フランスクラブの建物で、
日系ホテルとしては最も伝統があるそうです。
日本から上海を訪れる政財界のVIPの定宿にもなってるようです。

街中にあるのがウソのような静かなたたずまい
セレブ御用達のBARへつづく階段

ちょっとだけVIP気分でブランデーをいただきました
あくことなき探究心、というか食欲!!
もちろんこれでホテルに帰ったりしません。
友人の中国人夫妻と別れたあと、もう1軒。
ホテルの近所にあった、深夜営業のファストフード風のお店に

こういうなんてことない店が美味しいんですよね~

スッキリした鶏がらスープのレタス入りワンタンメン
あくる日は、中国の近代史をつくった街へ
新天地は中国共産党発祥の地です。

中国全土から観光客が訪れる
ちなみに明治維新の前夜、あの高杉晋作も長州藩の代表として上海を視察し、
この新天地を訪れたそうです。
欧米の植民地化し、誇りを踏みにじられてしまった上海を見たことが、
後の高杉晋作の行動に大きな影響を与えたと言われています。

中国共産党が産声をあげた建物

約100年前、この扉の向こうで毛沢東らが会議した
この倉庫みたいな建物で共産党が生まれた頃、
中国は世界で最も貧しい国のひとつでした。
それからわずか100年で、GDP世界第2位、
押しも押されもしないアジアの超大国になるとは・・・
この会議に参加したメンバーの何人が想像できたでしょう。

見学もできます
さて、歴史の話はこのくらいにして、最後の“旅ごはん”へ

いまや上海でも指折りのオシャレな街に変貌した新天地
この街にいると、自分が中国にいることを忘れます。

雨降りの平日ということで、観光客は少なめ

上海最後の旅ごはんは、ベトナム料理

浦東(プートン)地区
「旅ごはん・上海編」、いかがでしたでしょうか?
今回もよく食べ、よく飲みました。
見てるだけの皆さん、本当にごめんなさい。
でも上海は意外と近い。
夏休みの計画がまだの方は、候補のひとつにどうぞ!!
まいく