第一弾!初夏の三陸海岸をレンタカーで疾走(3)・・・三陸は今 byまいく
2013.06.22|
これまで2回、レポートした
「旅ごはん~三陸編」、いかがでしたでしょうか?
そもそも、「三陸に行ってみよう・・・」と
思い立ったきっかけは、
「テレビや新聞は、最近、東日本大震災の被災地の
ことをほとんど取り上げなくなったけど、ほんとのところ
どうなってるのかな?」という素朴な疑問からでした。
でも、被災地と美味しいものなんて、なんとなくそぐわない。
そう思われた方も多いかと思います。
実際、被災地の現実は、
暢気に食べ歩きなどと言うことに、
罪悪感すら感じるくらい、厳しい状況でした。
このテーマどうなのかな?
ちょっとノー天気すぎるんじゃないかな?
と、不安に思いながら、このレポートを
スタートしたのが正直なところです。
でも、今回の旅を振り返るうち、
そんなモヤモヤは、だんだんと晴れてきました。
それは、三陸の被災地を巡って、
あらためて「食」の重要性を実感したからです。
美味しいものを食べると元気になる。
旨いものがあれば、たくさんの人がそこを訪れ、
町が賑わう。
「食」に関わる者の一人として、
このレポートがきっかけになって、
一人でも多くの方に三陸の素晴らしい
「食」を知ってもらい、
三陸を訪れてもらえれば、
こんなに嬉しいことはないと思っています。
大津波にのまれた街
初めて三陸海岸を訪れたとき、
砂埃が舞い、無数のダンプカーが縦横に行き交う広大な荒地を見て、
「ただの広々とした空き地?」という錯覚に陥りました。
でも、近づいて足元を見ると、コンクリート製の住宅の基礎が残り、
割れた茶碗や湯飲みのかけらが散乱し、ほかにも様々な生活のあとがある。
ハッとして、この場所でついこの間まで、誰かが普通に暮らしていたことに
気がつきます。
かつてそこには、賑やかな商店街があり、病院があり、郵便局があり、
そして、家族が寄り添う家がありました。
まさか・・・、自分の目を疑う光景も、今もそのままあります。
住宅街に打ち揚げられた漁船のように、
非日常が日常になってしまった場所もあります。
ある被災者の方は、「2年ちょっとたって、これでも随分、片付いたよ」
と言いました。
たしかに、震災直後、三陸沿岸を覆い尽くした建物や船や車などの
瓦礫、残骸は、一箇所に集められ、処分されて目につかなくなったようです。
しかし、ものは片付いても、被災者の心の整理と生活の再建は、
復興というにはほど遠いようです。
多くの被災地は、今も手つかずの状態です。
次に来る津波に備えて土地をかさ上げしたり、一般の住宅の建築が
禁止されている地区が、そこかしこにあります。
その土地を工場や事業用地にするための再開発計画がまとまるまで、
手がつけられないということです。
家を失った被災者は、
住み慣れた土地からの転居を余儀なくされたり、転居すらできない人は
仮設住宅での不便な暮らしを続けています。
ずたずたに断たれた鉄路
海岸沿いを走る鉄道は壊滅的な打撃をうけました。
居酒屋で偶然隣り合わせた、東京から出張で来た
というJR関係者は、
「(鉄道の)復旧のめどは、まったく立たない…」と、
あきらめ顔で話していました。
被災地の新しい足
鉄道にかわって被災地の足になっているのが、
BRTと呼ばれる代行バスです。
地元の人は、
「本数が多くて、けっこう便利ですよ」と、
話してくれました。
JRの時刻表やネットで、BRTの表示があれば、
それは代行バスのことです。
三陸の元気!!
三陸をドライブしていると、フロントガラスに「被災地ツアー」
のプレートをつけた観光バスによく出会います。
NHKの朝ドラマ「あまちゃん」の影響も大きいようですが、
これまで遠慮していた人たちが、
ちょっと気を遣いながら、再び三陸を訪れはじめたようです。
旨いは、元気!!
今回は三陸の厳しい現実をレポートしました。
次回は、すこしづつ前進し始めた被災地と、
その元気の源、「食」をレポートします。
それとお待たせしました。
次回は、本マグロ(生)500グラムが当たる、
クイズも出題する予定です。
いよいよです。お見逃しなく!!